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出発前~技術補完研修編~


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無職になってから早いもので2週間。JICAの研修に参加するため久しぶりにスーツを来て銀座に向かっていた。朝の満員電車に揺られるのも久しぶりだった。会社を退職して以来、JICAに提出する書類の用意や身辺整理などであまり落ち着かなかったものの、会社員時代とは比べ物にならないくらい静かな気持ちで生活していた。JICAの研修が始まり忙しくなる前の充電期間だ。

 

青年海外協力隊の研修には2種類がある。職種別に開催される「技術補完研修」と派遣エリア毎に行われる「派遣前訓練」だ。私が銀座に向かったのは前者のためだ。コンピュータ技術の技術補完研修は、「PCインストラクター」という職種と合同で開催される。

 

普通ではありえないことだが、私が「PCインストラクター」という職種の存在を知ったのは、二次試験の合格通知書を受け取った時だった。合格通知書を受け取ると同時に各々の派遣国が決定するシステムになっており、私の場合は「カメルーン」と書かれていた。応募の際には「要請一覧」という資料を基に派遣先の希望を出すのだが、そのコンピュータ技術職種の欄にはカメルーンという国名は見当たらなかった。合格通知書には、「カメルーンの要請は『PCインストラクター』の職種で募集されていましたが、急遽『コンピュータ技術』に変えました」という旨のメモが貼られており、そこで私はPCインストラクターの存在を知った。

 

私が銀座の研修会場に到着したのは、集合時間の45分前だった。昔から集合時間より早く到着するようには心掛けていたが、今回はさすがに早すぎた。駅から会場までの道のりで30分は迷う予定だったにもかかわらず、1秒たりとも迷うことなく到着した。駅の改札からそのビルまでは一度の曲がり角もなかった。唯一迷ったのは、研修案内書に記載されていた名前のビルを発見した時だ。そのビルはレンガ造りの古びたビルでとても「コンピュータ技術」と「PCインストラクター」の研修が行われるようには見えなかったため、入るかどうかで迷ったのだ。後から聞いた話だが、老朽化のため、我々の研修が終わった後移転する予定だったらしい。会場はそのビル内の、コンピュータが20台ほど置かれた一室で、私は当然一番乗りだった。PCの台数から、今回研修を受けるのは20人前後だろうな、と予想できた。

 

私が到着して15分ほど経過し、続々と参加者が会場入りし始めた。面接の時とは打って変わり、会場はシーンとしていた。理由はシンプルで、研修初日には参加者のレベルを診断するための試験が行われる旨が案内書に記載されていたのである。「初日には、研修を受けるにふさわしい知識があるのかを判断するため確認テストを行います。」という文言を見てビビらない方がおかしい。テスト前にはちょっとでも悪あがきをしておきたいという気持ちは、いくつになっても変わらないらしい。

 

参加者が揃ってしばらくして、JICAの技術顧問2名と研修の担当講師、計3名が登場した。技術顧問は技術面接の際の面接官で、それぞれPCインストラクターとコンピュータ技術の顧問のようだ。また、今回の研修参加者は、「平成26年度2次隊」という括りの協力隊候補者。「平成26年度2次隊」というのはJICA用語では「隊次」と呼び、簡単に言うと研修同期である。技術補完研修から派遣前訓練までを共に戦い抜き、同じ時期に各国に派遣されていくため強い絆で結ばれる、協力隊独特の文化だ。各年度1次隊から4次隊までおり人数はそれぞれ異なる。

 

研修の開始時刻になり、自己紹介が始まった。今回の隊次はPCインストラクターとコンピュータ技術を合わせて15人ほどだった。元SEをはじめ、元Webデザイナーや元メーカー職員など、多岐にわたっていた。共通しているのは、「元」であること。奇跡的なことに、ほぼ全員が退職して参加していた。IT系職種の参加者は、退路を断つのが好きらしい。

 

自己紹介が終わると間髪入れずに試験が行われた。その点数に応じて席替えが行われた。苦手な人が遅れないよう、得意な人がフォローするためだ。それだけ、この研修はハイスピードで進行していく。見事なまでに、元SEの隣にその他の職業が座るという構図が出来上がった。試験はSEに圧倒的に有利な内容だった。後から分かったことだが、この事前テストの成績がどんなに悪くても、いきなり不合格となることはなかったらしい。我々の心配は杞憂だったようだ。この後2週間の研修の間、幾度となく席替えが行われたが、初日に私とペアになったのは元Webデザイナーのゆみっくす。彼女は開口一番、「私は多分このメンバーの中で一番パソコンに弱い」と自負していた。

 

今回の研修は大きく分けて「ネットワーク」「ハードウェア」「IT総合演習」の3セクションに分かれており、それぞれを5日程度で終わらせるタイトなスケジュールだ。まずはネットワーク研修がスタートした。当書はIT技術書ではないのであまり細かい内容は記載しないが、要は「インターネットは何故繋がるのか」、「サーバーはどうセッティングするのか」、「ルーターとは何か」などを勉強するのである。そんなことを朝から晩まで勉強していたら頭から湯気が出そうだが、担当講師の雑談が適度に挟まり、ちょうどいい塩梅となっていた。ネットワーク部門の講師は「逆子ではなく普通に頭から生まれたのでマシンガントーク」だというモテギ先生だ。白髪で目力があるベテランだけに、「だったら人口のほとんどがマシンガントークだ」ということにはツッコめずに飲み込んだ。口癖は、「ネットワークはシンプルに考える。難しく考えたら負けだ。正しく設定すれば絶対に繋がるし、1つ間違えれば絶対に繋がらない。」だった。

 

研修は、座学で情報を吸収しグループワークでその知識を定着させるという構成で進む。そして私の、ネットワーク部門におけるグループワークの相方が、自称「このメンバーの中で一番パソコンに弱い」ゆみっくすだった。元Webデザイナーとして働くのにネットワークの知識は必要ないので、それは本当なのであろう。しかし、彼女の疑問はいつもかなり痛いところを突いてきた。即答できないこともしばしばあった。その日彼女が質問してきそうなところを予測し、電車の中で予習しておくことで私自身の知識を深めることにも繋がった。元々ネットワークに関する知識は持っていたが、そこまでしないと置いて行かれる。それほどこの研修はハイテンポだった。しかも、夜はかなりの頻度で飲み会が開催されるのである。かなりハードだ。

 

協力隊の同期が強い絆で結ばれていることは前述したが、縦のつながりも強い。PC隊のOBやOGが技術補完研修の会場を訪れ、現地でのエピソードを話してくれたり、キャリアプランの相談に乗ってくれたりするのである。そしてその後は大体飲みに行く。2週間の研修で、おそらく10回近くは何かしらの飲み会があったように思う。そのおかげで、研修会場近くの居酒屋の店長とはかなり親しくなった。新たな出会いも多く楽しいのだが、朝から夕方まで勉強した後に飲みに行くというスケジュールは、体力的にはかなりしんどいものがあった。加えて、私は研修会場から電車で1時間半のところに住んでいた。家での勉強時間も含めると、睡眠時間は4、5時間だった。ロングスリーパーの私にはなかなか辛い。

 

そんなこんなでネットワーク研修が終わり、ハードウェア研修へと移った。ここでは、「CPUとは何か」「コンピュータは何故動くのか」「動かない場合はどう修理するのか」などを学んだ。ネットワークの研修と同様、座学で学んだことをグループワークで定着させるという手法だった。ここからの講師は、我々と同じ青年海外協力隊OBで現在はこの研修会社で働く、カオルちゃんだ。可愛い名前をしているが残念ながら男性だ。彼は協力隊時代の色々なエピソードを話してくれた。彼に隊員時代の2年間で一番つらかったことを尋ねると、「現地人の友人が一人もできなかったこと。毎日仕事の後は一人で海で泳いでいた。」と答えた。その反省かは分からないが、彼はIT知識以上にプレゼンテーション能力やコミュニケーション能力を重視しており、研修の合間にテーマと時間を決めてプレゼンをするというコーナーが頻繁にあった。

 

一番印象的だったのは、ハードウェア研修から参戦した新メンバーのプレゼンだった。「ちょっといい話」というコーナーで、他のメンバーが様々なちょっといい話を披露する中、彼は「離婚にまつわるちょっといい話」をプレゼンした。彼には離婚歴があった。むしろ、協力隊に応募したきっかけも「離婚して時間ができたので」というものだった。離婚があったからこそ、彼と我々は出会うことになったのだ。

 

「離婚歴のことを『バツ』と言いますが、その理由は、戸籍謄本上に本当に『×』が付くためです。しかし、このバツ印にはちょっとした配慮があります。」彼はそう切り出し、いきなりホワイトボードに自分の名前を書いた。そこに×を書くのかと思いきや、四隅から中心に向かう短い棒を引いただけだった。名前に被らないように。以下の図のように。

 

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名前

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「これを見た時、役所の最後の優しさが身に染みました。これが本当かどうか確認したい人は、離婚してみてください。」といった彼の顔は甲子園球児のように爽やかだった。

離婚どころか、彼以外のメンバーは全員未婚だったのでその話の真偽は定かではないが我々の心に大きなインパクトを残した。

 

無事ハードウェア研修が終わるころには、たった10日前に知り合ったばかりとは思えないほど、このメンバーに愛着が湧いていた。会社の同僚とも1年以上毎日12時間以上仕事をし、苦楽を共にしてきたが、ここまでの仲間意識はなかった。やはりこれは協力隊独特の雰囲気なのであろうか。

 

ここまでがIT知識の習得に特化した研修であるのに対し、最後の「IT総合演習」は、いわば「授業の授業」だった。学校でパソコンを教えることを想定し、「どうやって授業を組み立てていくのか」、「『先生』という生き物は授業中どんなことを考えているのか」などを、教育ド素人の我々に教えるのである。講師は引き続き協力隊OBのカオルちゃんだ。余談だが、カオルちゃんはよく

「いいですか。これは都市伝説ですよ。」

という前置き付きで、ある話をしてくれた。青年海外協力隊経験者の結婚相手、という話だ。カオルちゃんによれば、「協力隊経験者のうち、女性9割、男性5割が、協力隊がきっかけで知り合った相手(現地人含む)と結婚する。」らしい。さすがに女性9割は盛りすぎだろうと思ったが、自分なりに分析すると意外としっくり来た。

 

まず、これは男女共通だが、協力隊参加が決まってから日本に帰還するまで、急に出会いが増える点だ。というのも、技術補完研修、派遣前訓練、現地の先輩隊員、現地の後輩隊員と、隊員だけでもかなり知り合いが増える。後輩隊員に至っては自分が帰国するまで増え続けるのが普通だ。それにさらに現地人、現地のJICA事務所スタッフ、JICAの専門家などを含めると、おそらく人生最高ペースで知り合いの数が増えていくことになる。この中に気が合う人がいて、最終的に結婚まで到達したとしても全く不思議はない。

 

もう1つ、これは女性に特有かもしれないが「協力隊に行ってきた」という経験が、異性にとって必ずしも魅力的に写るとは限らない、という要因が考えられる。先輩隊員の言葉を借りると、「協力隊未経験者にとって、『アフリカに2年住んだ男性』は逞しそうで魅力的かもしれないけど、『アフリカに2年住んだ女性』はなんかガサツそうで嫌じゃない?」とのこと。私は協力隊経験者なのでなんとも言い難いが、確かにアフリカに2年住んだ女性は一般的に見たら、ワイルドなイメージがついてしまうものなのかもしれない。そう考えると、ワイルドな女性に理解のある協力隊経験者を相手に選ぶケースが多くても納得がいく。

 

男性に当てはまるのは前者のみ、女性は両方だとすると、男性と女性の「JICA関係者と結婚する割合」に大きな差があるのも頷ける。ちなみにカオルちゃんは既婚者だが、奥さんは一般の人だ。協力隊用語で、JICA関係者のことを「玄人」、それ以外の人を「素人」と呼ぶ。カオルちゃんの奥さんは「素人」だ。

 

カオルちゃんの「IT総合演習」は結構スパルタだった。最後に全員が模擬授業をするのだが、私が一番「これはいい授業だな」と思ったものに対してカオルちゃんは「何を伝えたいのか分からない。手段が目的になってしまっている。」とダメ出しをしていた。確かにそうかもしれない。エクセルで色を塗る方法を説明するために使ったツールの使用方法が複雑で、生徒はその使い方を覚えるだけで精一杯になってしまう可能性がある、というカオルちゃんの指摘は的を射ていた。自分が授業をするだけでなく、人の授業を見ているだけでもタメになる、有意義な研修だった。

 

最後の模擬授業を終えて当然のことながら終電を逃すまで打ち上げをし、技術補完研修の全日程が終了した。「私は多分全メンバーの中で一番パソコンに弱い」と語っていたゆみっくすも、いつの間にか合格点を取得していた。

 

カオルちゃんはこの研修の中で、「皆さんはラッキーです。だって、コンピュータの知識があるからこの職種に応募したのに、研修で基本から復習することができる。これは看護師の隊員が合格後の研修で注射の打ち方を習うようなものですからね。」と何度も繰り返した。確かにその通りだが、この研修でコンピュータ知識以外のことを多く学んだ私は、この研修の意図を別のところに見ていた。

 

協力隊に行こうと思い立ってから9か月。ようやく「派遣前訓練」まで約10日、海外派遣まで3か月というところまで来た。

 

 

出発前~技術補完研修編~