応募書類を前にした私の手は止まっていた。提出するべき書類が思っていたより膨大だった。今回は秋募集だが、実は春募集の説明会にも参加しており応募書類の封筒を触るのは初めてではなかった。しかし、前回はプロジェクトが小炎上中だったため開封すらすることなく積まれていた。呆然としながら「こんなことならもっと早く手を付けておけばよかった」と思ったのは締め切りの2週間前だった。
青年海外協力隊に応募を考えている青年(20歳~39歳)が出さなければならない書類は以下の5点。
- 応募者調書
- 応募用紙
- 語学力申告台紙
- 職種別試験解答用紙
- 健康診断書
その名前から、書くべき内容が判断できるものは3と5だけだ。どうしていいかわからないのでとりあえず全て一度眺めてみることにした。そうすると、わずかな希望が見えてきた。
まず応募者調書は、私自身のことを書く書類だった。住所や学歴など、ありのままを書けばいいのでそれほど大変ではなかった。強いて言うなら、この時点で希望する国と要請を選ばねばならないので少々悩んだ。しかし、説明会でOBから「第一希望に派遣になるのはかなりレア」という話を聞いていたので、割と適当に書いた。続いて語学力申告台紙についてもただ自身のTOEICやその他検定の点数を機械的に書くだけなので時間はかからなかった。
「職種別試験解答用紙」は少々曲者で、「解答」用紙と名乗っているだけあってこれには問題は付属していない。その問題がどこにあるのかというと、JICAのサイトに各職種別に載っている。青年海外協力隊の独特なところは、この職種という概念だろう。簡単に言うと、「私はコンピュータの技術者として応募します」、「私はテニスのコーチとして応募します」、「私は小学校の教師として応募します」、などをはっきりさせるための概念で、募集の段階でどの職種で応募するのかを決めておく必要がある。そしてそれを決めるのはJICAではなく自分自身だ。私でいうと、「コンピュータ技術」というのがそれにあたる。幸い、コンピュータ技術の職種別試験問題はただ自分の経験してきたプロジェクトや、業務以外の経験でこの職種に活かせそうな事柄を嘘偽りなく綴るだけだった。
わずか1日で悩み始めるところから1と3と4を記入完了するところまでこぎ着け、かなり展望が見え始めた。残りは「応募用紙」と「健康診断書」だ。
健康診断書は会社の健康診断の結果を流用する気満々でいた。ここに大きな落とし穴があった。健康診断書を見てみると、一番上に注意事項がいくつかありその一番上、つまりおそらくJICAが一番応募者に「注意してほしい」と考えている項目に、「2013年10月1日以降2013年11月2日までに受診した健康診断結果を有効とします。」とあった。会社の健康診断を受けたのは2月だ。これは非常にまずい。あと2週間の間に会社に休みをもらって健康診断を受け、その結果を受領しなくてはいけなくなった。そして更に「応募用紙」という全く未知の存在にも気を配らなければならない。ここで私をやる気にさせたのは、「このチャンスを逃したらあと1年は今の会社にいる可能性が限りなく100に近づいてしまう。」というこの上なくネガティブな感情だった。落ちたのならまだしも応募すら叶わなかったとなれば、来年度の応募も危ぶまれるだろう。次の日、早速会社に1日だけなんとか休めないか、という話をした。そこから帰宅後は「応募用紙」なる存在と戦う日々がスタートした。
「応募用紙」の正体は、普通の就活でいうエントリーシートだった。ということは、私にとって最大の難関である「志望動機」と向き合わねばならないということだ。就活の時もそうだったが、私の志望動機は大概しょうもない。就活の時は何社も受けるので赤裸々に攻めて受け止めてくれる会社を待つという戦略も考えられるが、今回の場合そういうわけにはいかない。応募に至った背景は様々あるものの、青年海外協力隊に合格すれば「観光ではわからない世界のリアルを知る」「語学力を身につける」「会社を辞めるきっかけを作る」という3つを実現できる、というのが大きかった。さすがに不純すぎる。私が採用担当だったら、「エントリーシートにこんなことを書く人には直接会って話を聞いてみたい」と思うだろうが、そんなひねくれた人はJICAにはいないだろうと考え、志望動機の欄にはわりかし当たり障りのない、何の面白みもないことを書いた記憶がある。
その他の質問には無難に答えたが、最も頭を悩ませた設問は「帰国後、参加経験をどのように生かしたいか教えてください」というものだ。合格してもなく、応募すらもまだ済ませていない段階の青年(20歳~39歳)にもう帰国後のことをを聞く辺り、なかなか気が早い。ハッキリとは覚えていないが、帰国後は協力隊経験を活かしてビジネスを始めたいと思っていたので、その通り書いたような気がする。
人間やる気になればなんとかなるもので、締切日前日の消印で無事ポストに投函し、結果を待った。取り掛かりが遅すぎた自分に非があるのだが、書類作りに時間を割くため友人からの誘いもほとんど断っていただけに、1次選考合格通知を受け取った時は自宅で独り、飛び上がって喜んだ。こうして正月早々面接を受けに行くことが決定した。と、同時に、会社にももう一日休みをもらわなくてはならなくなった。
正月ボケもまだ抜けきれぬうちに、あれよあれよという間に面接の当日を迎えた。予定の時刻よりかなり早めに面接会場に着いたにもかかわらず、既に今日面接を受ける様々な職種の青年(20歳~39歳)が多く集まっていた。青年海外協力隊の2次試験(面接)は、「人物面接」と「技術面接」に分かれている。大体の場合午前に1つ、午後にもう一方を受けることになり、その他は制服の採寸など細かい作業はあるにせよほとんど待ち時間である。ちなみに自分の面接が終わっても、その日のすべてのプログラムが終わるまで帰ることは叶わない。私が参加した回は、朝8時半集合、16時半解散だったと思う。その間昼休みが挟まる。
8時間の拘束時間のうち面接を受けているのはほんの30分程度で、その他は全て周囲の青年たちとの雑談に興ずることになる。ここにも何か意図を感じてしまうのは考えすぎだろうか。実際に海外に赴任すると、「何を待っているのかはよくわからないが、何かを待っている時間」というのが非常に多い。周囲の初対面の人と会話するコミュニケーション能力を含め、そういったところへの耐性も見られているように感じた。待合室の席順はあらかじめ決まっており、私の隣に座ったのは「日本語教師」という職種で受験している関西から来た新卒の女性だった。この場に集まっている人同士の会話は、90%以上の確率で「何の職種ですか」「どこから来られたんですか」「前職は何をされてたんですか」という3点セットから始まるので、この情報は1分もかからずに知ることができた。彼女曰く、日本語教師という職種で応募するには1年間専門学校に通う必要があるが、逆に言うとそれさえクリアしていれば学歴や職業に関係なく応募することができるらしい。そのため、青年海外協力隊の職種の中では応募しやすい職種のひとつで、自動的に倍率も上がる。私が応募したコンピュータ技術は実務経験が必要な要請が多く、中には「実務経験10年以上」というハードルの高いものも存在するため倍率はかなり低く、応募しにくいが受かりやすい職種の1つだと思う。
続々と面接から戻ってくる受験者が揃いも揃って落胆の表情を浮かべるころ、私はひたすら待機し続けていた。途中、コンピュータ技術で応募している同志を探す旅にも出ようかと思ったが、うろうろと歩き回っていて周囲の人に「うわ、この人やたら意識高いな・・・・」と警戒されたら嫌だと思い、席で大人しくしていた。ちなみにこの時私の前の席に座っていたマーケティング職種の彼とは、その半年後、駒ケ根の訓練所で再会することになる。彼もまた、面接を終えて落胆していたひとりだった。「自分の業務経験全部否定されて、『次は頑張ってくださいね。』って言われた。絶対落ちたわ。」という言葉は面接をまだ受けていない私の緊張を煽るのには十分すぎた。そして絶妙なタイミングで私の番がやってきた。
まずは人物面接だ。この面接の特徴は、技術的なことは一切聞かないということにある。幸い私の周辺に座っていた人は全員人物面接を終えていたので、面接の前に一種のカンニングのような行為に及ぶことができた。彼らの情報を頭に叩き込み、どの質問が来るのだろうと身構えていた。ある人は「あなたの苦手な人はどんな人ですか」、またある人は「何故応募しようと思ったのか」を聞かれたと言っていた。後者ならよいが、前者のような質問をされると面倒だなと思った。ドアをノックして中に入る。会場はホテルのツインルームだった。面接官は男女1名ずつ、おそらく私の両親より少し若いくらいの年代で上品な雰囲気だった。
「まずはお名前を教えてください。」
私の人物面接は世界で一番簡単な質問からスタートした。
面接を受ける際に私が気を付けていることはいくつかあるが、最も気を付けているのは「自分も騙せるほど本格的なものでなければ、嘘はつかない。」というものだ。そうしないと、そこから話を掘り下げられた時のエピソードが薄っぺらくなる。結果、自分を大きく見せようとした嘘により人間としての薄さが露呈してしまう。今回も全て本音で答えるよう心掛けていた。
「休職ではなく退職での参加とのことですが、何か理由はありますか。あれば聞かせてください。」
これは正直予想外だった。退職での参加など珍しくもなく、その他に人物像を明らかにするための質問はいくらでもある。面接に挑む前の「カンニング行為」でも、この質問をされたという受験者はいなかった。
「し、仕事に飽きたからです。」
と若干詰まり気味に答えた。これは本音だ。この質問に対する、自分なりの模範解答は用意しておらず、かつ物腰柔らかながらも力強い口調で質問され、脊髄反射で本音が口から出てしまった。
「御社は東証一部上場企業ですよね。仕事内容に満足していないのですか。」
まるで私が答える前から質問が用意してあったかのようなスピードで追撃がきた。
「いえ、仕事内容に不満があるわけではありません。しかし刺激の多い海外での生活から帰り、今のルーティンワークに戻ってもモチベーションをキープできるとは思えません。」
「この2年間のためにせっかく入った会社をやめてしまうのは勿体ないと思うのですが。異動などの選択肢はなかったのですか。」
「異動の希望調査は四半期ごとに来ます。既に何度も出していますが、1年以上叶っていません。10年以上前から働いているメンバーもおり、メンバーの入れ替えが簡単にできるプロジェクトではないようです。」
「もし帰国後に選んだ職場も同じような状況だったらどうされますか。また協力隊に応募しますか。」
これは冗談で言ったようだった。
「帰国後は起業を考えています。自分で起こした事業に飽きたら・・・・・・・その時はまた応募するかもしれません。」
「お待ちしています。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
と言いながら、ええ、終わり!?という心の叫びが聞こえてきたが、聞こえないふりをした。
1階に降りるエレベータの中で、他の受験者に「どうだった?」と聞かれたら何と答えようか、考えていた。答えは見つからなかった。受ける前からこの展開を予想できる能力は持ち合わせていない。会社を退職して参加することのみにスポットを当てられ、それに終始するとは全くもって想定外だ。この面接の手ごたえは「分からない」が正しかった。
待合室に戻ると案の定「どうだった?」という質問が私を待っていた。
「いやー、退職で参加する理由ばっかり掘り下げられて、志望動機とか一切聞かれんかったわ」と拭っても拭っても油田のように湧いてくる脂汗をタオルに吸収させながら答えたのを覚えている。
その後昼休憩をはさみ、今度は技術面接へ。
これは人物面接とは違い、待合室があるホテルから徒歩5分ほどのJICA本部の会議室で行われた。面接官は男性2名だった。これもまた変化球が来ることを予想し、かなり身構えていた。入室して最初にされた質問は、「この職種別試験解答用紙の内容に変更はないですか」というものだった。職種別試験解答用紙には、私の業務歴が書いてある。「ええ・・・・・・は、はい・・・・・・」思わず一瞬間が空いてしまったうえ、なんとも歯切れの悪い答え方をしてしまった。変化球を10球連続投げられた後にいきなりど真ん中にストレートを投げられた野球選手の気持ちが分かった。さほど速い球でなくても、必ず振り遅れる。
「派遣地域はアフリカでも大丈夫ですか。」
「学校勤務でも大丈夫ですか。」
「PC修理が得意とのことですが、ネットワークの改修もできますか。」
バッティングセンターでもここまでのど真ん中直球は珍しい。全てに正直に答えて技術面接は終了した。と同時に、もし受かったらアフリカの学校でPC修理の仕事だな、と予感した。
約1か月後、その予感が正しかったことが証明された。合格通知書には「PCインストラクター職種での募集でしたが、あなたに合いそうな案件だったのでコンピュータ技術職種に変更しました。」と面接官からのメッセージが添えられていた。面接官はJICAの技術顧問だったと分かったのはその時だ。
この合格通知をもって、私の派遣先は、アフリカ・カメルーンに決まった。
出発前~応募、選考編~
完