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なぜボルダリングにはまるのか


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ボルダリングを始めて2年ちょっとが経った。

飽き性のためあまり趣味が継続することはないのだが、久しぶりに長く続いている趣味ができた。

 

なぜボルダリングを続けられているのかを書いていこうと思う。

 

まず1番大きい理由として、このスポーツが小さい成功体験の積み重ねであること。ワントライは短ければ3秒、長くても1分くらいなのだが、その結果登れたか登れなかったかで勝負するシンプルなスポーツだ。勝負とは言っても、大会でもない限り対戦相手は過去の自分であり、前回登れなかった課題をいかにクリアしていくかというところに面白さがある。そして大体の場合、同じ課題を登り続けていればいつか登れるようになるし、その日は調子が悪いと思ったら普段よりグレードを下げれば100%登れる。

 

このように、自分がぎりぎり登れるか登れないかという絶妙なラインの課題を見つけ、クリアしていくのがボルダリングの醍醐味だ。そのため行くたびに成功体験をすることができるのでモチベーションをキープしやすい。

 

第2の理由として、楽しんでボルダリングをしているうちに自然に筋力が身につくことが挙げられる。別の記事でも書いたのだが、私は筋トレをしている。しかし背中側はボルダリングをしていれば自然に鍛えられるのでほとんどトレーニングはしていない。

 

最後に、ボルダリングに関してよく言われることを私なりに考察したい。

「ボルダリングは頭のスポーツだ。論理的思考能力がなければクリアできない。」

という話をよく聞く。

しかし私の持論では、「パワー100 : 論理的思考能力0」の人と「パワー0 : 論理的思考能力100」の人がいたとしたら100%前者が強い。それが8:2と2:8でも結果は一緒だろう。つまりパワーが常軌を逸していれば、論理的思考能力のなさはカバーできるが、パワーのなさは何物にもカバーできない。

 

ということは、

「ボルダリングは頭のスポーツだ。論理的思考能力がなければクリアできない。」

はパワーが100同士を比べたときに、論理的思考能力が高い方が有利ということを指していると言える。

 

我々が「足の使い方がどうのこうの」と散々議論していた難しい課題を手だけで登っていく強者を見ながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

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