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出発前~派遣前訓練編~


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雨男という存在は雪男の存在と同じくらい非科学的だ。

というのはどこかで読んだ小説の一節だが、もし実在するとしたら私もそれに該当する可能性が高い。今日は派遣前訓練初日で、我々青年海外協力隊候補生は「駒ケ根訓練所」というRPGのレベル上げ施設のような場所に来ていた。場所は長野県駒ケ根市。日付はキリよく7月10日。天気は、バケツどころか25メートルプールをひっくり返したかのような豪雨だ。

 

青年海外協力隊の訓練は、この駒ケ根と福島県の二本松で同時開催される。参加者は派遣予定国のエリア別に機械的に振り分けられる。ちなみに、これは研修ではなく「訓練」と呼ぶのが正しいらしい。更に正確に言うと「派遣前訓練」が正式名称だ。この訓練の目的は主に派遣国での使用言語の習得。中学校での授業時間の3分の2に相当する授業料を70日でこなすために一日の大部分が語学授業で構成される。JICAはこの研修の意義を色々と挙げているが、結局はそれに尽きると思う。

 

初日は入所式が開催され、様々な訓練所でのルールや班分けなどのオリエンテーションがあった。足元が非常に悪い中での開催だったが、参加者の表情は晴れやかだった。おそらくこの時はほとんどの参加者が「駒ケ根は雨の多い地域なんだな。」と思ったに違いないが、駒ケ根は日本でも有数の雨の少ない地域らしい。にも関わらずこの豪雨。我々平成26年度2次隊の派遣前訓練は、前途が危ぶまれるスタートとなった。2日目からはレベル分けテストを皮切りに、語学授業がスタートする。

 

協力隊候補生たちは緊張と希望が入り混じったような絶妙を浮かべ、試験会場である教室の前で椅子に座り、試験官に自分の名前が呼ばれるのを待っていた。OBから「この訓練は最初でつまづくと最後までひきずる」という恐ろしい話を聞いていたので私は入所前に苦し紛れの予習をしてきていた。私の派遣国であるカメルーンの公用語は英語とフランス語だ。協力隊員の派遣されているエリアは全てフランス語圏のため、この訓練ではフランス語を学ぶ。

実は、まだやる気に満ち溢れていた大学1年生のころ、何を血迷ったのか私は第二言語としてフランス語を選択していた。しかしあまりの難易度と心の弱さから見事に挫折してしまい、ほとんど授業には行かなかった。それほど、フランス語という言語は習得が困難だと知っていた。

今回は挫折=派遣中止を意味し、いわば背水の陣と言える。私がカメルーンに無事派遣されるには、予習をして訓練に臨み、フランス語に対する苦手意識を払拭するしか方法はなかった。そしてフランスに1年留学していた友人に相手をしてもらい、ルノアールでコーヒーを飲みながら一通り文法を習った。

 

前の参加者が退室して数十秒後、「次の方どうぞ」とフランス語で呼ばれ、私のレベル分け試験はスタートした。

 

試験官はマダガスカル出身のJICAの主任教官だった。入室と同時に名前や年齢などを聞かれた。予習の成果が出ていたのか、この辺りまでは割とすらすら答えることができた。その時点の私は自信を持っていたし、おそらく調子にも乗っていた。自信が3秒後に打ち砕かれるとも知らずに。

異変を感じたのは、先生の口から次の質問が発せられた瞬間だった。答えが分からないどころか、先生の質問の意味すら理解できなかった。今思えば「曜日を月曜日から順に言ってください」とか「1月から12月まで言ってください」といった簡単な質問だったのであろう。全く答えられずにいるうちに、先生が「英語はわかるか」と尋ねてきた。

既に試験を終えたメンバーから、「質問に答えられないと英語に変わる。英語すらわからないと日本語に変わり、その生徒は大体一番下のクラスに入れられる。」と聞いていた。一番下のクラスに入れられることは、休日もなく語学地獄ともいえる日々を送ることを意味する。それだけは絶対に避けたいと思い、受験レベルの英語力で精一杯頑張った。

「最後に何か言いたいことはありますか」と聞かれ「あなたに会えて本当によかったです」と、小田和正氏でもなかなか言葉にできないような感情を口にした。というのも、そのマダガスカルの先生は事前課題のビデオに出てきた先生で、個性的な見た目が印象に残っていたのである。私の言葉に対する先生の返答は「Study seriously!(真面目に勉強しなさいよ)」だった。

「終わった」と思った。

 

翌日の早朝、前日の試験結果を基にクラス分けが行われた。私の担当教員はシモンヌという女性の先生だった。私の試験官だった先生だ。「真面目に勉強しなさいよ」と言っていた先生が担当教員ということは一番下のクラスに入ったのだろうと予想し、少々落胆しながら教室へ向かった。教室に着くと先生が「5分だけ日本語をしゃべる」と言って20分くらい日本語で授業の説明をした。それが終わると、生徒がフランス語で自己紹介するコーナーへと移った。

他のメンバーは、アメリカに8年住み英語とスペイン語がペラペラの女性、オーストラリア育ちの男性、イギリスの大学で修士まで取った女性、大学でフランス語を2年勉強していた女性、フランス人彼氏を持つ女性、という計6名だった。

他のメンバーの自己紹介を聞いて違和感はあった。一番下のクラスにしてはレベルが高すぎる。そもそも、私以外のほぼ全員が英語がペラペラだった。その日の授業が終わり、クラスメイトと夜の教室で自習をしていた時にそのもやもやがはっきりした。他クラスの生徒が「殿上人たちがどうやって勉強しているのか見に来ました~♪」といって教室に入ってきた。

彼女によると、私たちのクラスは一番上のクラスらしい。少しは予習の成果が出ていたものかと安心したのもつかの間、次の日からの授業スピードは予想を上回るものだった。

 

奇抜な先生の授業はやはり奇抜だった。

マダガスカル出身のおばあちゃん、シモンヌのクラスには守るべきルールがいくつかあった。特に奇抜だったのは、「読み方もしくは冠詞を間違えたら問答無用で10円の罰金」「授業中は辞書を一切使わない」という2点だ。我々はこの後訓練終了まで、数千円もの罰金を払うことになるのだが、そのお金はシモンヌのポケットマネーになるわけでなく、クラスのお金として貯金され、授業中に飲み食いするお茶代・お菓子代として使われる。

このシステムのおかげでシモンヌクラスにはいつも飲み物とおやつが豊富だった。授業中に辞書を使うとまた10円の罰金。理由は「辞書は嘘つきだから」。試しに自習時間に辞書で調べた単語を授業中に使ってみたりすると、「文法的には合っているがそんな言い方はしない。」と否定される。文法的に合っているのならいいじゃないか、という理論は通用しない。

その件でシモンヌと壮絶なバトルを繰り広げ、最終的には泣いてしまったクラスメイトもいた。それほど、このクラスではシモンヌの言うことは絶対だった。

 

その後、我々生徒一同のレベルが上がってくると、「生徒が授業をする授業」も行われた。各自、「動詞の活用を覚える」、「料理に関する語彙を身につける」、「リスニングを鍛える」など1つ目的を決め、授業を企画するのである。

私は音楽が好きなので「音楽を聞いてリスニング力を向上する」という授業を行った。2曲を題材に選び、虫食いを施した歌詞カードを配りそれに沿って聞きながらその虫食い部分を埋めていくというシステムだ。私が紹介したBB BRUNESというフランスのバンドはシモンヌも好きだったらしく、「授業の内容はともかく、選曲がよかった。」と褒められた。

複雑だったが嬉しかった。シモンヌに褒められることは滅多にないのでこんなことでも嬉しいのである。

 

上述のとおり一日のほとんどが語学授業で構成されるこの「派遣前訓練」だが、語学授業が全くない日というのも何日か存在する。そのうちのひとつが「野外訓練」だ。物々しい名前はついているものの、特に野宿するわけでも野生動物を捕獲して食べるわけでもなく、水や食料の使用を制限された中での生活を体験するという趣旨で実施される丸2日のアクティビティだ。

各チームに分かれて進んでいくのだが、そのチームはそれまであまり関わりのなかったメンバー同士で構成されるという点が特に協力隊らしい。どういう振り分け方をしているのかは分からないが、この野外訓練のチームは、他のグループワークやアクティビティなどでもあまり同じ組になったことのないメンバーで構成されていた。私の場合は休日のスポーツイベントや平日の夜に開催される自主講座などにも多々参加していたため、顔なじみのメンバーばかりだった。

食料も物資も限られている中での生活はやはりストレスなのか、多くのグループが少なからずギクシャクし始める中、我々のチームの活動は終始和やかに進行した。全員が不干渉主義という独特のメンバー構成だったのが功を奏したのであろう。野外訓練終了後に打ち上げが実施されたのは私達のグループだけだった。打ち上げは近所のおしゃれなイタリアンレストランで行われた。

飲み会になると、日ごろのうっ憤を晴らすべくベロベロになるまで飲むのが通例だが、このイタリアンレストランのママはほぼ一年中JICA関係者を相手しているので非常に寛大だ。

 

駒ケ根訓練所では月曜から土曜まで一日中授業(JICA用語では「課業」と呼ぶ)が実施される。その上、土日以外禁酒というルールになっているので、お酒でストレスを発散させるタイプの人には苦痛で仕方なかったであろう。となってくると土日はほぼ確実に飲み会が実施されることになるのだが、移動の時間がもったいないので場所も大体限られてくる。そのため、近隣のお店に行くと必ず訓練中の協力隊候補生に出会うことになり、突発的に合コンのようなものが開催されることも多い。

何も考えずに行った男同士の飲み会が急に合コンに変化することも少なくなく、合コンに参加する勇気のない引っ込み思案な男性には協力隊に参加することをおすすめしたい。また、昔どうであったかは分からないが現在の青年海外協力隊の特徴として、女性が極めて多いという点が挙げられる。ちなみに私が参加した平成26年度2次隊というグループでは、シニアボランティアを除く約150名の候補者のうち、女性が100名、男性が50名だった。

 

これでは、草食系男子だなんだと叫ばれている昨今でも「駒ケ根マジック」と呼ばれる現象が多発するのも頷ける。

 

「駒ケ根マジック」というのは、駒ケ根訓練所で知り合った異性と「仲良くなる」ことである。

類似の用語に「二本松イリュージョン」というものも存在し、二本松訓練所で知り合った場合はそちらに該当する。何故「マジック」なのかというと、訓練所を卒業後消えてなくなってしまうケースが多いためだ。もちろんそのままゴールインするカップルも存在するが、その割合は2割程度と言われている。たったの2か月過ごした後に2年間も海外に離れ離れになるのでは、長続きしないのも無理はない。そのせいかは分からないが、海外派遣後に、駒ケ根で知り合った美女の写真を現地の隊員に見せ、自分の彼女であるかのように紹介する事例も増えているという。

青年海外協力隊OBである技術補完研修の講師曰く、その際に役立つのが「駒ケ根卒業アルバム」だ。

 

「駒ケ根に入ったら卒業アルバムを作らされることになると思いますよ。PC隊の運命です。」と聞いたのは技術補完研修の時だった。駒ケ根訓練所入所以来、PC隊員同士の熾烈な様子の探り合いが勃発した。誰もが、「最初にそのことを言い出したら負けだ」と思っていた。私はというと、訓練が終盤に近づくにつれ「制作委員会を立ち上げるのは面倒だけど、卒業アルバムが無いのは寂しい。」という微妙な感情に悩まされるようになった。結果として、そう思い始めて2週間後、私が制作委員会暫定委員長となってしまった。

 

これまでの卒業アルバム制作員会は、主にPC隊員によって構成され卒業直前に始動、卒業間近の数日間ほぼ徹夜で仕上げるという流れが一般的だったらしい。今回のPC隊は、ベンガル語やウズベク語など比較的難易度の高い言語を学ばなければならない隊員で構成されていたため、あまり乗り気でなかったのであろう。私は今回の制作委員会は公募制にすることにし、技術の有無は関係なく興味のある人と共に進めていくことを決めた。

 

掲示板に募集ポスターを貼り、食堂や休日のバーベキューで地道にスカウティング活動を行うなどの根気が報われたのか、最終的には卒業アルバム作りに興味がある仲間が10人以上も集まった。駒ケ根卒業まで2週間とちょっとのところでようやく、徹夜をしなくて済むのではないかと希望が見え始めた。そしてアンケートの結果、今回の卒業アルバムはDVD形式に決定した。制作委員会に立候補しなかったメンバーも写真提供には積極的だったらしく、国やクラスごとの写真、公式行事の写真、休日のアクティビティなどの写真が集まりはじめ、卒業まで10日の時点でスライドショーを作るだけという段階に到達した。

しかし懸念がないわけではなかった。それは私自身がスライドショー作りの初心者で、他の委員会メンバーに指導する力が無いということ、加えて最終試験前の時期にその勉強をしている余裕が果たしてあるのか、ということだ。そんな圧倒的ピンチにおいて私のモチベーションを上げる要因となったのは、「DVD制作委員会には美人が多い」という事実だった。

所詮男のやる気なんてそんなものだ。

 

美女達にいいところを見せるべく、私の睡眠時間は当然のように短くなった。卒業DVDは4つのチャプターに分けることが決定していたので、私はその中の1つを担当しやり方を学ぶ。そのやり方を他のメンバーに展開して作業してもら。という流れで私の修行はスタートした。

結果的に、何度か机に突っ伏したまま寝ることはあったが、なんとか期限内に全員に作業手順を共有するところまで辿り着いた。DVD制作員会には私とともにカメルーンに派遣される「マルちゃん」もいたが、彼とは一度作業をしながら朝を迎える結果となった。その日は駒ケ根で過ごす最後の休日だった。

 

「最後の休日が昼寝に終わるのはもったいない」などと中学生のようなことを言いながら訓練所の近所にある養命酒工場見学に行き、かつ夜は町内の祭りに参加するという無尽蔵のタフさを見せ、我々の派遣前訓練は残り3日となった。当然、その夜は丸太のように寝た。

 

派遣前訓練修了式で修了証書を受け取るまで、我々は「青年海外協力隊候補生」や「JICAボランティア候補生」と呼ばれる。前者は長いので後者で呼ばれることが多い。その最後の関門が、なんといっても語学試験だろう。

最終試験は、聞き取り試験、読解試験、作文試験、面接試験の4試験から構成される。これは中間試験と同様だ。中間試験をギリギリの成績でクリアした者はことあるごとに先生にある程度脅されるので、「超」がつくほどの緊張の中、最終試験に臨むことになる。しかし、無事全員が卒業を迎えた我々は知っている。相当にひどい点を取らない限り不合格にはならないということを。そのからくりはこうだ。

 

まず、聞き取り試験と読解試験に関しては回答が決まっているので「正解」と「不正解」の2パターンしか存在せず、受験者のリアルな実力が浮き彫りになる。しかし、作文試験と面接試験に関しては、問題がオープンクエスチョンなのである。例えば、「あなたがJICAボランティアに応募するに至った経緯と、家族や友人の反応を書いてください。」や、「駒ケ根を卒業した後は海外派遣までどう過ごしますか。」など自分の経験や意見を率直に答えればよい内容になっている。そして採点は自分の担任の先生なのである。

ということは、先生の裁量で、聞き取り試験と読解試験の不調をいくらでもカバーできてしまう。派遣前訓練の合格基準は得点率60%以上だったように記憶している。各科目100点満点なので400点中240点取得すればいい計算で、もし聞き取りと読解で30点ずつしか稼げなかったとしても、作文と面接で90点ずつ叩き出せば合格点に到達する。「聞き取りが全くできないのに面接試験で点が稼げるわけがない」と心の中で指摘した方は正常な思考の持ち主だ。ここにこのテストが「無意味」とされる所以がある。

 

「無意味」は私の担任であったシモンヌの言葉を借りたものだが、JICAの主任フランス語教官である彼女が言うのだから信憑性が増す。

曰く、

「語学の勉強には奇跡もマジックもあり得ない。聞き取り試験ができない人が面接試験で試験官の言うことを理解できるはずがない。海外に行って困るのは本人だから私はいいけど。」

これが本当の駒ケ根マジックだ。とも言っていた。こう書くと彼女が冷たい人間のように思われるかもしれないが、そうではない。

 

最終試験で不合格になりもう一度訓練を受けるか、もしくは協力隊員への道を諦めるか。どちらももまた苦しみだが、不十分な語学力をもって海外に派遣されるとそれ以上の苦しみを味わうことになる、それでもいいのか。

ということを彼女は主張したいのである。

しかし、私の同期で語学力が不十分ながら「『本当の』駒ケ根マジック」で卒業した人は何人もいたものの、彼らが海外で実際に困ったかというと、実はそんなこともなく、意外とスムーズに活動しているのである。ある人はスポーツで現地人と交流を深めたり、ある人は歌で心を掴んだり。言葉が苦手でも意外とどうにかなるものなのだろう。

 

駒ケ根の派遣前訓練では「坐禅」の授業もあり、そこで「坐禅とは何か」という問いに、

「坐禅とは、究極の無駄である。何の生産性、合理性もあってはいけない。」と僧侶が堂々と答えた。

シモンヌの心配は、まさしく坐禅のように無駄な心配に終わることになるのだが、この時の我々には知る術もなかった。

 

こうして我々総勢150人は、最終試験で誰一人の脱落者も出すことなく、修了式を迎えることとなった。私は東日本大震災の影響で大学の卒業式が中止になり、そういった類の式は久しぶりだったので少々浮足立っていたが、周りは眠そうにしていた。

 

卒業DVDも無事完成し、東京に向かうバスの中では久しぶりに何の心配もないリラックスした時間が流れていた。隣の席には私と親しくしていた男女が座っており、彼らと会話しながら私は「このふたり交際しちゃえばいいのに」などと下世話なことを考えているうちに新宿バスターミナルに到着した。

 

近場のチェーン居酒屋で軽い打ち上げを終え、「これで最低2年はみんなの顔を見ることもないのか」と感傷に浸りながら解散した。

この訓練では他にも「独りテニス」や「研修でやった奇妙なゲームの話」、「世界一面白くないプレゼンテーションの授業」、「マジシャンになった話」など、エピソードは色々あったが書き始めるとキリがないのでこの辺で。

 

応募を思い立ってから約1年。海外派遣まで2週間となった。

 

 

出発前~派遣前訓練編~