アフリカの話をしましょうよ、IT業界の愚痴はやめて。もえやんにそう言われるのは何度目だろうか。3度目までは数えていたが、それ以降は全く記憶にない。もえやんは現在では私の親友、「たろやん」の妻になった人で、彼と私が所属していた大学のバンドサークルの1つ後輩にあたる。ボーカルとキーボードとギターで活躍したすごい人だ。今はWebデザインの会社に勤務している。
彼女が何度目かにそう言ったとき、私たちは新宿三丁目の居酒屋で飲んでいた。たろやんと私は小・中・大学と同じ、腐れ縁ともいえる間柄だが、あろうことか会社まで同じで週末はよく飲みに行っていた。この時も同じ会社の同期と3人で飲んでおり、そこにもえやんが参加した形だった。もえやんが指摘する通り、我々が集まると話の内容はたいてい「うちのプロジェクトマネージャーは稼働の管理が下手だ。」とか「お客は要望だけ出して椅子に座っているだけだからシステムのことを全く理解していない。」など、仕事の愚痴が止まらない。たろやんと私はIT企業に所属していた。
その会社はネットで社名を検索すると「○○システムズ ブラック」と予測変換されるほどに「ブラック企業」のタイトルを欲しいがままにしており、入るまで戦々恐々としていたわりに入社してみると案外のほほんとしていた。確かに毎日残業が重なり土日も出社するほどに忙しい時期もあるが、残業代もきちんと出るうえ2週間職場に泊まり込みなどといった所謂「プログラマーらしい状況」に陥ったという話は社内でも聞いたことがなく、比較的清潔な経営がなされていたように思う。その会社に勤め始めて3年ほど経った頃、我々の飲み会の話題が急に愚痴ばかりになった。
特に明確なトリガーがあったわけではないが、私のいたプロジェクトが炎上し、金曜の夜に飲んでいると「明日出社できないか」という旨の電話が課長からかかってくるようになったのがなんとなくのきっかけだった。3年もSEとして現場に出ていれば、システム構築のノウハウも少しは分かってくるし、エンジニアの残業がなかなか減らないのは何故か、というIT業界に共通する課題に対する自分なりの答えも見えてくる。そういったことが重なり、愚痴を言うという行為を通してカッコつけたかっただけなのだろう。
そして、そんなITエンジニアの彼女であったもえやんが「アフリカ」というキーワードを出し始めたのにもきっかけがあった。
私が青年海外協力隊の説明会に行き、IT業界から青年海外協力隊に参加したOBの話を聞いてきたのである。その人はアフリカで一番印象的だった事柄として、「アフリカでは、人生の優先順位の1位は『仕事』じゃないんですよ。」と言っていたのだが、私もいつしかその言葉を呪文のように唱え始めていた。ちょうど仕事が忙しい時期だったので、頭がIT以外のキーワードを欲していたのであろう。そして、もえやんとたろやんと飲んでいるときにも、「あのさぁ、アフリカってすごくいいらしいよ。アフリカでは仕事が最優先じゃないんだって。」と、行ったこともないアフリカの話を空想でしたがるようになった。
とはいっても、店に入り着席するやいなや「よし今日はアフリカの話をするか」と意気込んでいたとしても、我々の「アフリカの話」は、大抵店員が注文を取りに来るまでの間に終わった。10秒ももてばいい方だった。それもそのはずだ。誰もアフリカに行ったことがないので、私が説明会で聞いてきた「アフリカでは、仕事が最優先ではないらしい」というごく微小な情報しか話すネタが無いのである。そして大体二言目には「なのになんで日本ではこんな馬車馬のように働かされなきゃいけねぇんだよ」と急激な方向転換を見せる。そこから、もえやんが「今日こそはアフリカの話をするんじゃなかったの」とごもっともな意見を言い始めるまでにはそれほど時間はかからなかった。それほどまでに、たろやんと私、SEコンビの頭はIT業界のことでいっぱいだった。
もえやんが「アフリカの話をしましょうよ、IT業界の愚痴はやめて。」と言うたびに、私の中で本当にアフリカに行ってみたいという気持ちが強くなった。と同時に、早く会社を辞めて青年海外協力隊に参加したいと思い始めるようになった。
今更こんなことを言うのもアレだが、私がIT業界に入ったのは、叔父の影響だった。私の母の弟であるその叔父は、今でこそアメリカで防災関係の仕事に就いているが元々はシステムエンジニアで、かつ協力隊経験者だった。協力隊には、「システムエンジニア」という職種で参加した。物心ついたころから、母親がよくその叔父の話をしており、青年海外協力隊に入って海外で働くという生き方はカッコいいな、と思っていた。大学のバンドサークルでウダウダと何の実りもない生活をしていたころはそんな国際意識もすっかり薄れてしまっていたが、就活がなかなか上手くいかず自問自答をしていた時、ふと叔父の話を思い出し、「SEになれば、いつか将来協力隊に行けるかもしれん」そう思い立った。面接でそんな不純な動機を赤裸々に喋ったにも関わらず雇ってくれたのが上述のIT企業だった。まさか3年でやめるとは思っていなかっただろうが。
そして、少なからずもえやんの言葉に感化された私は、気付いたら二度目の説明会に参加していた。目的は、自分の気持ちを確かめるべくもう一度OB/OGの話を聞くため、また応募書類をゲットするためだ。
こうしてようやくスタートラインに立った私と、青年海外協力隊応募書類との戦いが始まった。
出発前~思い立つ編~
完